過去から現在に至って発生し継続している諸問題に関する一考察

私が車屋に勤めだしたのが、20代半ば、関東のメガディーラーでしたが・・・
その頃のお客様の主な年齢層は、20代後半から30代。

で、次の車屋に転職して、30代前半までそこにいたわけですが・・・
その頃には既に20代のお客様は減りつつあり、殆どが30代になっていた。

で、今に至って・・・私が30代後半。
お客様の主な年齢層は、相変わらず30代。20代を見ることが希。

そう、ずーっと、私が歳を取るにつれて年齢層も同じく上がってきた。

と同時に、さすがにこの歳になると、本来ならクルマにかまけてられなくなるなることが殆ど。ミニバン乗るのも家庭の事情、国産乗るのも家庭の事情。恋をするのも家庭の事情なんだかんだと今更どうも。

この場合動画は要らないかもですが・・・

次第に高齢化してきていることは明白。

これを、名付けて、ラテン車業界高齢化問題と呼んでいます。

2000年辺りに、ラテン車業界に大きな波が押し寄せました。
いわゆる正規輸入車と呼ばれる大資本がゴソッと輸入して売り捌く類の車が、こぞって右ハンドル化しました。
左ハンドルを所望する好事家が選ぶクルマが、正規輸入として扱われることが少なくなった。

これを、名付けて、ラテン車業界2000年問題と呼んでいます。

2005年辺りに、再度ラテン車業界に波が押し寄せました。
いわゆる正規輸入車と呼ばれる大資本がゴソッと輸入して売り捌く類の車が、以前はごく一部右ハンドルであれどマニュアル車があったのが、こぞって全車オートマチック化しました。(MTがあっても、バイオーダー(通常在庫なし・受注後発注)とか、ですねぇ・・・)同じく、3枚ドアはマニュアルも選べるが5枚はATのみとか・・・
また、好事家が選ぶクルマの選択肢がが減り、一般的に売りやすい車が殆どになり、それこそ、マニュアルを所望する好事家が選ぶクルマが、正規輸入として扱われることが、もうほんとに希少になってきた。

これを、名付けて、ラテン車業界2005年問題と呼んでいます。

最近、また、別の波が押し寄せている気がしています。

こういうのがほしいが、それは正規輸入ではないから保証やらなんやら付かなかったりするから、買えない、という、全方向ないものねだりをして、妥協したくないからああしようとか、ないならやむなしこうしよう、という考え方が、なくなってきた。欲しいは欲しいが”どうしても欲しい”ではなくなってしまった。

どうしても欲しいんだったら、しょうがないじゃんねぇ、多少のリスクは冒してでも欲しいものを手に入れよう、という考え方ができないくらいに、消費者が飼い慣らされてしまい、逆に、そういう趣味嗜好を優先するということが考えられないほど、経済的趣味的にも、追いつめられてしまった。

結果、多くのヒトが、イイナイイナと言いながら羨望して眺めるだけでお手々後ろで手を出さなくなってきた。どうしても欲しいと思わなくなってきた。雑誌やネット見てる気分で淡い非現実な羨望と誤解した感情を抱いて話題に上げるだけで、自分は無難かつ無味乾燥なモノで満足したフリしてる。
売ってるヒト乗ってるヒトが居るのであれば、ヒトが出来ることは誰でも出来るはず、なのだが・・・

そう、敢えてのラテン車敢えての好きな車、の”敢えて”が、ムリだと思われつつある。
クルマはA地点からB地点まで快適に移動できればそれでいい、と、みてくれとか、安いとか税制で優遇があるとか壊れないとか壊れたら文句言う先があるとかにのみに価値を置かれて、如何に快適にとかハンドリングがどうのとかエンジンや脚の感触が云々とかは二の次、必要必須であるフリしながら実はドーデモヨイ、になりつつある。

逆に、そこまでの思い入れがなくても、普通に売っているからなんの気なしに覚悟もせず買ってしまって、現実に直面して狼狽えてみたり、その買ったものの真価を今ひとつ発揮してなかったり、なんでそれ買ったの?みたいな場合も散見するようになった。
で、謳いやすい、その狼狽えようだけを声高らかに謳ってしまい、謳いにくいその本質たるいいところを謳えないという状況が発生して、その謳われたネガティヴファクターのみをまた別の人が見て、狼狽えて、みんなでネガティヴなことばっか考えるようになった。
で、そのネガティヴに耐えてるヒトを趣味人と誤解してしまう。じゃあそのヒト、ネガティヴ払拭するのにコストが掛かるとなれば、すぐやめちゃう。

アクセルを床まで踏まれたことのない速い車とか、緻密に練られた脚を持つクルマだが峠道喜び勇んで臨まないとか、商用車に乗用車の要件を要求しちゃったり、1.4のAT車に速さを求めちゃったり、それがどうした困らないしお金かかかるなら直さないだろ?ってとこを只で治った直らないお金かかるから直せないとかで一喜一憂して鬱に入る、とか。

実際の所、現代では、買えるか買えないか、なんて、財布の厚さにしか関係しないのです。大抵のモノは、お金払えば買えます。そういう時代でしょ?オール電化。
そんな時代だから、ホントに重要なのは、敢えても含めて、主観的観点に於いて何を選んで、買うか買わないか、で、他からの評価なんかドーデモよく、自らが、どう愉しむか、我それを(敢えて)選ぶ故に我なり、だと思うのですが・・・そういうのは、もう、旧態依然化しつつあるような気すらしてくる。

そう、ネガティヴもポジティヴもひっくるめて、全部まとめて愉しんでしまえ、多少コスト掛かるのもヒトが動いてモノ換えてだったら、致し方ないじゃないか、只だからやる金かかるならやらないとか、そういう次元の問題でなく、そういうものとかどーでもいいこと大政に影響ないことはやらんともヨロシだし、それでヒト動かす方が動くヒトに申し訳ないだし、必要なことから順番に自分で納得いくようにしておけばいいじゃないか。

だって、ラテン車よ?フランス人やイタリア人が作ってるクルマですよ?それを世界一細かい、Fussyな日本人が、世界一クルマが安くて、高いのから安いのまで自国で、世界一品質信頼性申し分のないクルマを生産してる日本で、わざわざ選ぼうとしてるなんざ・・・

それ即ち、趣味や嗜好。金払って買えるっかてば、買えるようで買えない世界。
その、趣味や嗜好に価値を見いだせなくなってきている。
全てが算盤勘定だけで成り立ってるような、そんな感じ。

これを、ラテン車業界2008年問題と名付けるべきなのかなぁ?

とか考察しても、えぇ私は好きだからやってるんで、**の一つ覚えなので、芸風は変わりませんよ。
欲しいというヒトにそのものがあればなんとしてでも納めます。その行動原理は変わりません。
進化を忘れているというか放棄してますので。(エヘヘ。)

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2 Responses to “過去から現在に至って発生し継続している諸問題に関する一考察”

  1. ごるでぃーに より:

    あえて金払っても買えないような車に仕上げてる私としては
    大手ディーラーのやり方は効率優先。
    ニッチ層なんぞそんなん知らんっていう売り方しているのがイヤ。

    とか言って正規輸入車に乗っているのですけどね。
    私の中でリスクは進んで受けるものでいい経験になると思うんですがねえ。
    だって私の車、よくディーラーも見てくれてるなと思うくらいリスクだらけだもん(笑)

    どうぜ輸入車だったら全部持ち込み検査するんだから、大手も選択肢は増やして欲しいですね。
    私も正直左ハンドル欲しかったんですがね。

    私もたぶんこの先芸風は変われません(笑)

    • まぁ、そうですねぇ・・・
      “**までにいくらで確実性を持って上げろ!”
      に終始すると、紋切りな仕事以外は受けられなくなります。

      それは私でもそうで、イレギュラーな相談をレギュラーな要求でされる場合は、承れない場合もあります。

      やったことないことはわからないし、全ての車がイコールじゃない。やったことあっても今回の案件は違うかもしれない。
      その辺をご理解いただけない場合は、そういう仕事を受けてくれるトコに行くべきだし、ご理解いただける場合は、私でも色々気の利いたコトが出来る場合もある。が、全てそれができるわけじゃないし。
      件数が多くなるとそこまで1件ごと手間と時間を費やしていられない場合もある。

      ので、難しいトコです。

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