FIAT Panda CLX

かつて民藝運動を起こした思想家・柳宗悦(1889~1961)は「用の美」という考え方を唱えた。自身が残した書には「用と美と結ばれるもの、これが工藝である」とも書いている。何だか小難しいことと思われがちだが、考え方はいたってシンプルだ。用の美とは「使いやすく、役に立つように考え抜かれてつくられたものには、美しさが宿る」ということ。おそらく長く存在しているモノには、この「用の美」が貫かれたものではないだろうか。

Aピラーの根元に付いている黒い樹脂製のカバーは、ドアヒンジを隠すためのもの。ドアヒンジを外側にしているのは、組み立てやすいこと、内部空間を効率的に使えるようにすること、そして軽量化にも貢献しているというルスティカ。

パンダ1をこのコーナーで紹介するのは、すでに3台目になる。最初は96年のCLXセレクタ、2つめは94年の4×4(このメイン写真は、HDR【 High Dynamic Range:明度差を広く取った画像のこと】加工をしていないのにHDRのような迫力がある)、そして今回、奇しくも1回目と同じ年式のCLXがやってきた。

正直言って、パンダ1のことはこれまでの2車種でかなり言い尽くされているので、今回はちょっと別の切り口で述べていこうと思う。
パンダは風のようにやってきて、風のように去っていったカルロ・デ・ベネディッティ副社長の一声によって生まれたこと。しかも彼は外部から招いた実業家でクルマの専門家ではなかったこと。約100日間しかいなかった彼が、フィアットの主力量産車を外部に丸投げしたこと。それを受け取ったのが、ジウジアーロ率いるイタルデザインであること。

「徹底的に安く、合理的で、つくりやすいクルマをつくろう!」。パンダの目的はあまりにも明確であるがゆえに、イタルデザインはただ形をつくるだけでなく、生産ラインまでも一貫して設計した。徹底的に安く、合理的なクルマというのは、小型車として何となく分かるが、最後の「つくりやすい」というのは、当時のイタリアの時代背景が絡んでいる。1976年はオイルショックの後。自動車工場ではストライキが頻発している状況で、労働意欲も低下していた。そんな中、やる気のない人間がクルマを組み立てても、それなりの品質を確保できるようにしたのだ。熟練の技を必要とせず、誰でも簡単に組み立てることができるクルマが必要だったわけだ。

パンダはすべてのガラスに平面ガラスを使用している。コスト削減がもっとも大きな理由だが、ゆがみが生じにくく、軽量化にも貢献。表面積が最小で済むので、ワイパーシステムの単純化、駆動モーターの容量小型化にもつながっているちなみにパンダは開発時「ルスティカ」と呼ばれていたそうな。英語にすると「Rustic(ラスティック)」。素朴で飾り気のないという意味で、いま思うとこっちのほうがパンダのコンセプトに合っているような気がする。パンダという名前になった由来は、開発当初のメインターゲットが中国だったという話や、当初のデザイン画がサイドモールから下が黒、上が白だったという話もあるが、実際はどうなのだろう。名前を考えたのはイタルデザインではなく、フィアット側。動物のパンダをキャラクターに使っている某国際機関からクレームがあって、フィアットが何とか収めた、という秘話も残っている。

 

非常にポップでチープだが、このインテリアのデザインは唯一無二。当該車のCLXは当時の上級仕様だった(と思う)パンダの何がすごいのか。

パンダの何がすごいのか。それは「デザインのためのデザイン」をしていないということに尽きる。かわいく、かっこよくしようとしてデザインをしていない。売れるために見てくれだけのデザインをしていない。クルマの本分(=走る道具)を実現するために、とにかく使いやすさと合理性を追求し、量産大衆車の本分でもある「安さ」にも徹底的にこだわった。あの優れたパッケージ、シルエットはそういった機能を突き詰めたからこそ生まれたのだ。

日本のプロダクトデザイナーの草分け的な存在である柳宗理(1915~2011:冒頭に述べた柳宗悦の息子)はこう言っている。「デザインの至上目的は、人類の用途の為にということである」。この言葉こそ、デザインとは機能(使いやすいこと)から発進するべきだと訴えている。また「本当の美は生まれるもので、つくり出すものではない」とも。これらの言葉はすべてパンダに通じるものではないだろうか。

ただ、上記のことはプロダクトデザイナーなら誰しもが分かっていることである。しかし、分かっていることと、それを実現することは違う。現実はそううまくはいかない。商業ベースである以上、クライアントは「とにかく売りたい」、デザイナーは「真のデザインを追求したい」。そういった構図となり、結果そのほとんどはクライアント側の言い分が通る。

各種操作スイッチはメーターの横に集約。非常にシンプルで分かりやすい配置、かつスイッチに凹凸が付いているので、ブラインド操作も可能。ビミョウに透過照明になっているが、何分光量が少ないので、点いていることに気付かないかもしれないパンダの何がすごいのか。それはベネディッティがイタルデザインに丸投げしたことで、フィアット社内の意向をある程度ブロックでき、乱暴に言えば「イタルデザインが好きなようにデザインできた」ということだろう。これはある意味、門外漢の彼だからできたことかもしれない。もし社内でやっていたら、営業の意見、経営陣の意見、ステークホルダーの意見、いろんな意見を取り入れていくうちに駄作になっていったに違いない。

ミニもチンクエチェントも、2CVもキャトルもVWビートルも、ロングライフなクルマはおそらくそういった道具(機能)として突き詰めた何かがあるからこそ、多くの人々に愛されつづけてきたのではないか。どんなにかっこよくても、どんなにかわいくても、道具として優れていなければ、すぐに飽きられ、捨てられてしまう。そういうものが溢れているのが、いまの世の中であり、そういうものが溢れているいまの世の中だからこそ、パンダの価値は依然として輝いているのだと思う。

 

ラゲッジはシートを倒さない状態で205L、倒した状態で820L。このサイズの小型車としてはじつに優秀な積載能力であるパンダ1に乗るなら……。

パンダに乗るということは、このような歴史背景、そしてバカンスを返上してまでパンダの開発に取り組んだジウジアーロの情熱に乗るということ(ジウジアーロはバカンスを返上して仕事に取り組んだのは、このパンダだけだと語っている)。もちろん、ジウジアーロの想いがいちばんストレートに感じられるのは、1980年からの初期型、いわゆる30、34、45というモデルだが、さすがにこれらに乗り、維持していくのは、かなりハードルが高いだろう。

1986年からマイナーチェンジ版が発売された(中期型)。FIREエンジンが採用され、リアサスペンションもオメガ型に変更(これによって乗り心地が乗用車っぽく一変した)。1989年にはインジェクション仕様も日本に導入された。そして1991年からの後期型が、いまいちばん世に出回っているモデルだろう。後期型のボディは中期型とほとんど変わらないが、グリルの形状が違う。フィアットのCIである5本の斜線が中期型ではグリルの天地いっぱいに入っていたが、後期型は上1/3ほどがフラットなパネルになり、その下に斜線が入るようになった。4×4モデルはリアゲートに「Panda 4×4」とプレスで入っている。

エンジンはかなりバリエーションが増えた。ガソリンの直4OHV(903cc)、直4SOHCのFIREエンジンは769cc、999cc、1108ccと4つのエンジンが用意された。しかし、1994年からは直4OHV(899cc)と直4SOHC(1108cc)になり、日本へは1108ccのFIREエンジンを搭載したCLX、CLXセレクタ、4×4が導入された。

 

エンジンは1.1LのFIREエンジンで歴代最高の出力を持つ。スペアタイヤもここに鎮座する。分割線がサイドにあるボンネットによって、多少ラバーシーリングが傷んでもエンジンルームに雨水などが侵入しないように工夫されているパンダは速い。

これまでCVTのセレクタと4×4に乗ってきた。セレクタはCVTであっても楽しいクルマだった。4×4は全体的にローギアードだったのが印象的。重さがある分、乗り心地はセレクタよりもしっとりと落ち着いた感じがした。そして2WD+5MTのCLXはまさにベーシック中のベーシック。やっぱりパンダは2WD+5MTで乗るのがいいなぁ、とあらためて感じた。

740kgという車重は頼りないくらいに軽く、たった50馬力の出力であってもグングン加速する。体感的にかなり速いのだ。とくに3速に入れたときのエンジンの伸びはすばらしく、アクセルをついつい踏んでしまう。ワイドなギア比なこともあって、街中では2、3速で事足りるイージーさも魅力だ。

軽量で小さくて、シンプルなメカニズムで、余計なものは付いていない。現代のクルマと真逆の性格を持つパンダは、たしかに丈夫で壊れにくい。しかし、後期型でも発売されてから20年以上経っているからには、それなりの気合いを持って付き合うべきだと思う。“動いていれば良し”的な乗り方はできればご遠慮いただきたい。すでに現存在数も少なくなりつつあり、部品供給も途絶えていく傾向。大衆車であるがゆえに日の目を見ることはたぶん今後もないだろうが、それでも「こういうライスタイルがかっこいい」と意志を固め、身をもって表現できる方にこそ乗ってほしいと思う。

タイヤは155/65R13パンダは生き方。

ものすごく感覚的な表現で伝わらないかもしれないが、パンダに乗るといつも「ああ、クルマってこれでいいよな」と思う。小型車としては最高に効率的なパッケージ、動力性能も過不足なし、飽きの来ないスタイリング、安価なのに所有欲を満たす存在感……。すべてが過剰ではなく、必要にして充分。パンダに乗るということは、私にとって「非常に身の丈にあっているな」と実感するし、事実、乗っているときの「しっくり来る具合」は群を抜いている。たぶん私がいまのクルマからパンダに乗り換えても、私をよく知る友人は違和感を覚えるどころか「似合ってるね」と言ってくれるはずである。おそらく「何でこのクルマにしたの?」とさえ聞かないだろう。

クルマは道具であり、人間の生活に寄り添い、役に立つためのものである。それが美しく、身体に馴染み、当たり前のようにそこにある存在であれば、どれだけ人生を豊かにしてくれるだろうか。人から見られることを気にして、分不相応なクルマに乗るのとは対極にある考え方である。パンダを買い、パンダに乗るということは、その人のライフスタイル(生き方)を体現することでもある。

 

PHOTO & TEXT/Morita Eiichi

 

 

 

エンブレム_3321996y FIAT Panda CLX

全長×全幅×全高/3405mm×1510mm×1485mm
ホイールベース/2165mm
車両重量/740kg
エンジン/水冷直列4気筒SOHC8V
排気量/1108cc
最大出力/37kW(50PS)/5250rpm
最大トルク/84Nm(8.6kgm)/3000rpm

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4 Responses to “FIAT Panda CLX”

  1. rallye より:

    pandaが身近にあったことを、改めて良かったと思いますねぇ。
    clioの時に、結構真面目に考えましたもん。

    • すずき@PMG4 より:

      Panda1、よいでげすな、ぐぅえっへっへっへっ。
      一回乗りゃーせ、Panda1。
      その後の車選びにどえらいく影響を及ぼす逸品でがす。

  2. 1995~2001に1100CLXを所有していました。
    合理的ながらジュジャーロ御大のデザインコンシャスな
    クルマは安普請を感じさせない所有欲を満たす存在でした。
    モディファイするのにもパーツ代が割と安価でしたから、無限大の
    楽しみ方が実践できる様に思いました。

    • すずき@PMG4 より:

      イイ車ですよ。
      安普請に乗られちゃって、真っ当に現存する個体は少なくなっちゃいましたけどね。
      未来に残したい車のひとつ。(あくまで当社比)

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