CHRYSLER Ypsilon

もちろん、例外はあるが、素性の悪い子どもを素性の良い子どものグループに入れたとしても、悪い子の素性が良くなるわけではない。表面的には良くなるかもしれないが、その子のモノの見方、考え方、判断はおそらく大きく変わることはないだろう。それは成長すればするほど、困難になるのは目に見えている。今回はそんなお話。

 

 

 

パッと見、紫色には見えないが、この濃い紫がイプシロンのキャラクターに合っている。とても上品な色だと思うクライスラー・イプシロン

クライスラー・イプシロン。クライスラー・イプシロン。クライスラー・イプシロン……。何度聞いても、クライスラーという響きとイプシロンという響きが、同じ名前の中に入っていることに馴染めない。なんでこんなことになったのか。そもそもの発端は2009年にクライスラーが経営破綻を起こしたことに遡る。クライスラーが会社を再生する際、出資者のひとりとして名を挙げたのが、フィアットだった。両社は業務提携を組むことになったが、2012年にフィアットが出資比率を引き上げたことにより、クライスラーの買収に成功。ここにフィアット、クライスラー、ジープ、ダッジ、モパー(クライスラーのパーツ部門)を擁する「フィアット・クライスラー・オートモビルズ(FCA)」が誕生したのである。
日本ではこの動きにともなって「フィアット・クライスラージャパン(FCJ)」が立ち上がった。今回紹介するクラスラー・イプシロンは、この時代に販売されていたクルマである。ちなみにクライスラー・イプシロンという名称はイギリス、アイルランド、日本のみで、それ以外の国ではランチアブランドのまま販売されている(ちなみにクライスラーの本国・アメリカには導入されない)。なぜこの3国のみがクライスラーブランドなのかというと、単純にランチアの販売チャンネルを持っていないからという理由。販売にはクライスラーを使うしかなかったのである。

 

3ドアのみだった先代から5ドアになった3代目イプシロン。デルタのデザインエッセンスを引き継いでおり、特にリアのデザインは一目でイプシロンと分かる個性的なもの特別仕様車の「パープル」

クライスラー・イプシロンといっても、クライスラーバッジを付けただけのOEMなので、クライスラーがつくっているわけではない。プラットフォームのベースは現行のフィアット500であり、ホイールベースを90mm延長し、5ドアにすることでイプシロン用に仕立てている。
エンジンもフィアット500のツインエア(2気筒900cc 8バルブインタークーラー付きターボ)を搭載。ノーマルモードで85PS /14.8kgm、エコモードにすると77ps/10.2 kgmになるのも、フィアット500用と共通である。もちろん、トランスミッションも自動変速のRMT(ロボタイズド・マニュアル・ミッション)だ。
当該車は2013年4月に発売された限定200台の特別仕様車「イプシロンパープル」である。イプシロンには、エントリーグレードの「ゴールド」と上級グレードの「プラチナ」の2つが存在するが、このパープルはゴールドをベースに専用ボディカラーである「パープルオーロラ」を採用。インテリアもベージュとブラックを配した専用のものになっている。他にも「プラチナ」にしか設定のない装備を備えながら、価格は「ゴールド」と同様の235万円に抑えている。

 

特別仕様車「パーブル」の内装は、ブラックとベージュでコーディネートされている。これもかなり素敵あんがいスポーティ

クルマに近づいてみると、一見、ブラックに見えるほどの濃い紫色でケバケバしさはない。近づいて光に反射させてみると細かいフレークがキラキラと輝いており、落ち着きのある上品な雰囲気を醸し出している。インテリアも上品で、まさに“小さな高級車”の名にふさわしいデザインと言える。
エンジンはフィアット500でおなじみのツインエアなので、あの独特な音と振動は健在。個人的にはイプシロンはフィアット500よりも上位にあるクルマだと思っているので、もう少し音と振動を前席のシートはシンプルなデザインだが高級感があり、臀部と脇腹を適度にサポートしてくれる抑えられなかったかなぁ、と思う。カジュアルな500ならこの音と振動もポップに感じるが、イプシロンにこれは似つかわしくない。エンジンマウントや遮音材などで何とかしてほしいと思ってしまう。ただ、それを除けば小型車に充分な走行性能を発揮してくれる。D.F.N(ドルチェ・ファー・ニエンテ)ならぬ「デュアルファンクション」とは呼ばれるようになったRMTのフィーリングも良好だし、マニュアルモードで乗っても気持ちよくシフトアップ/ダウンができる。ゆったりと流すときはオートモードで、アクセルを積極的に踏んでいきたいときはマニュアルモードで乗るのがいいと思う。
イプシロンのほうが車重があるせいか、乗り心地はゆったりしている気がする。タウンスピードで乗るレベルでは、サスペンションの動きがいい意味で緩慢。フィアット500よりもホイールベースが延長されているからかもしれない。まぁ、これは捉え方で、この緩慢さがもっさりしていてシャープさに欠けるとも言える。ただ、イプシロンのキャラクターには合っているかなと思う。音と振動を除いては。
後席はちょっと狭い。いちおう5名乗車だが、大人が3人乗るのは厳しいだろう。ただ、日常的にそんなシーンが多数あるわけではないので、それほど気にすることでもない街中から脱出してちょっとしたワインディングに入ると、イプシロンは新しい一面を見せてくれる。初代や2代目よりも格段にスポーティなのだ。スピードが増してくると、サスペンションは街中よりもしっとり感が強くなり、ハンドリングもクイックに感じる。マニュアルモードにして回転を上げていくと、パタパタ音も比例して大きくなるが、高回転になるほど音の粒は小さくなり、走りに集中しているからか、それもあまり気にならなくなる。音質はともかく、エンジン音が盛大に車内に入ってくると気分も盛り上がるというものだ。急勾配はさすがに得意ではないが、下りの峠道はこんな小さなクルマでもけっこうハイペースで楽しめる。小さな高級車の、また違う顔である。

 

ラゲッジは6:4の分割可倒式で、シートバックを倒すのみ。フラットな床面には程遠いが、これも大した問題ではないランチアはイプシロンのみ

クライスラー・イプシロンはいいクルマだった。多少の不満はあるが、ランチアという高級車メーカーの誇りと雰囲気をそれなりに感じられるし、基本性能も充分だ。街中にあふれるフィアット500には辟易気味だけど、イプシロンならあまり見ない。落ち着いた大人のコンパクトカーを求める人には最適だと思う(何よりフィアット500にはない5ドア)。
しかし、残念なことに日本ではもはやイプシロンを新車で買うことはできない。2014年に日本での販売が終了してしまったからだ。振り返ってみると、日本での販売開始は2012年の12月だから、実質1年ほどしか売っていなかったことになる。国外に目を向けてもランチアブランドの縮小傾向は加速しており、イタリア本国でもランチアはイプシロンしかラインナップされていないという事態になっている。ただ、2020年3月にマイナーチェンジした現行イプシロンはめちゃくちゃ素敵なのだ(リンクを貼っておくので、興味のある方はどうぞhttps://www.lancia.it/)。1.0LのFIREエンジンとマイルドハイブリッドを心臓部とする新しいイプシロンは、クロームのメッキパーツが抑えられ、より洗練されたデザインになっている。

 

日本仕様はフィアット500のツインエアと同じエンジンが搭載される。話によるとターボダクトの接続方法がフィアット500ははめ込み式であるのに対し、イプシロンはホースバンドで留めてあるとかどうとか。その違いが何を示すのか不明だが、パワー・トルクともに500もイプシロンも同じであるカムバック! ランチア!

それにしても1906年に設立された名門・ランチアがここまで衰退してしまったのは、残念でならない。その歴史を振り返ってみても、そもそもが技術最優先主義の経営で、幾度も経営危機を迎えている企業である。1969年にフィアット傘下となり、WRCシーンでの活躍も相まってブランドイメージを向上させたが、クライスラーとの統合が致命傷になり、その後のランチアは存在感をなくす。この動きを主導したのは、FCAのCEOだった故セルジオ・マルキオンネ氏である。2000年代にフィアットの経営を立て直したと言われるが、同時にランチアのブランドイメージを失墜させた張本人でもあると思っている。
2014-2018年のビジネスプランで「ランチアブランドは今後、イタリア国内だけで販売される」と発表したものの、新型車の発表がないばかりか、デルタまで止めてしまい、イプシロン1車種のみとなってしまった。ランチアは孤高のブランドとして、決してクライスラーのバッジなどを付けることなく、高級車ブランドとしての地位を確立しつづけるべきだった。収益的にはよろしくないだろうが、グループのスケールメリットを活かし「分かってくれる人だけが乗る高級車」の路線をキープできれば、ランチアの希少価値は維持できただろう。
タイヤサイズは195/45R16で、16インチホイールとともに「パープル」専用デザイン。当該車はまだ新しいダンロップ・ルマンを履いていたからか、空走時のロードノイズがとても静かだったそれに日本ではランチアのチャンネルがないからクライスラーで販売したというのも納得できない。ランチアがなければ、なぜフィアットで売らなかったのか。だいたいクライスラーが好きな人は、イプシロンみたいな小型車に興味が湧くのか、甚だ疑問である。アメリカンな雰囲気が微塵もないイプシロンをショールームに置いたって、見向きもされないのは目に見えている。クルマづくりに対するコンセプトもデザインもまるで違うイタリアンブランドを、アメリカンブランドの中に突っ込むどころか、そのバッジを付けて売るのは、やはり理解ができない。
2019年、FCAはフランスの「グループPSA」と経営統合するという、またしても不可思議なニュースが伝えられた。その際、CEOは「PSAもFCAもすべてのブランドを存続させる」と言っているが、果たしてどうなることやら。

 

TEXT & PHOTO/Morita Eiichi

 

2013y CHRYSLER Ypsilon Purple

全長×全幅×全高/3835mm×1675mm×1520mm
ホイールベース/2390mm
車両重量/1090kg(サンルーフ付1130 kg)
エンジン/直列2気筒 SOHC 8バルブ ターボ
排気量/875cc
最大出力/85PS(63kW)/5500rpm
最大トルク/145N・m(14.8kgm)/1900rpm

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