【Tale】RENAULT 4 Fourgonnette

 カレンダーに付いた赤い丸は、今年もまた1年が過ぎようとしていることを知らせてくれる。しかも、今年は花屋として独立してから10周年にあたる年。よくここまでやってきたものだ、と少しだけ過去を振り返る。
12月1日。花の仕入れから戻り、店の照明を付けたところだ。外はまだ暗い。この季節の早起きは、もう慣れたものだと思っていても、耳がちぎれそうな寒気に触れると、なんで花屋なんてやってるんだろう、と後悔する。昔から朝起きるのは苦手で、学校にもよく遅刻をしていた。そんな僕がなぜか花屋。不思議で仕方ない。

ストーブに火を点け、コーヒーを淹れた。早起きは苦手だが、仕入れを終えて開店の準備をする前のこのひとときは、けっこう好きだ。誰もいない店の中で、ひとりコーヒーを飲みながら、ほのかな灯油とストーブのあの独特の匂いを感じるのは、かけがえのない時間だ。
「10年、10年かぁ」
これまでそんなことを意識して仕事をしてこなかったので、いまあらためて10年経った事実を目の前にすると、なかなか重みのあることだ、と思う。そして店が10周年を迎えるということは、あいつとも10年の付き合いになるということだ。表に停まっているルノー4フルゴネット。81年式だから30年以上前のクルマ。充分旧車と言っていい。僕の花屋人生はこいつとともにあった。

 

12年前、高校の同窓会で懇意にしてもらった先生にその話をした。
「万年遅刻魔のおまえが花屋ねぇ。ほんとにやれるのかぁ?」
酔っぱらいながら、先生はそう言った。
「うーん、やってみなくちゃわかんないけど、やってみたいんだよね」
「なんで花屋なんだ?」
「大学のときにずっとバイトしてて。いま社会人にはなったけど、なんかあのときの感じが忘れられなくて」
「そうか。ま、でもそうやって決断したのはすごいことだよ。応援するよ」
「ありがとうございます。じゃあ、なんか餞別ちょうだい」
冗談で言ったつもりだったが、酒の勢いもあってか先生は上機嫌で「おお、何でも言えよ。教え子の門出だからな」と見栄を切った。
「考えとくね。また連絡します」

 

数日後、先生に電話をした。よくあるケースで、先生はやっぱり覚えていなかった。でも、その当時の話をすると、なんかそう言ったような気がする、と思い出しかけた。
「まぁ、男と男の約束だからな。で、何がいい?」
「あのさ、先生、まだあのクルマ持ってる? あの、クルマの後半分が食パンみたいな荷室になってるの」
「ああ、キャトルのフルゴネットか」
「そうそう、それ」
「それって。それ?」
「それ」
「おいおい、冗談だろ。たしかにまだあるけど、もう何年も乗ってないし、あんな古いの、どうしようもないぞ」
「いや、どうしてもあれがいいんだよ」
僕は粘った。キャトルのフルゴネットは、じつは高校時代に一度乗せてもらったことがある。文化祭の準備で遅くなった僕らを、先生が家まで送ってくれたのだ。そのときに初めて見たフルゴネットは、何とも奇妙でかわいらしかった。どう見ても不恰好なその姿を、友だちは「なんだこれー」と冷やかしたが、僕は好きだった。不思議な乗り心地も良かったし、乗っているだけでなぜかワクワクした。
「いま乗ってないんだったらいいじゃん」「クルマは乗ってナンボでしょ?」「フルゴネットに花屋、似合うと思わない?」。僕の執拗なアピールに根負けしたのが、先生はしぶしぶOKを出した。ただ、条件が2つあった。
「故障が続いたとしても、ぜったいに手放さないこと。あと、たまにでいいから、見せに来い」。

 

クルマのことなんか、ぜんぜん詳しくなかった。フルゴネットが欲しいと思ったのも、ただかっこうが好きだから、という理由以外何もないし、そのクルマの価値とか、構造とか、まったく知らないただの素人だった。だから、その2つの条件なんて、どうってことないと、そのときは思った。
それから2年後、僕は花屋として独立。開店日には、先生がフルゴネットに乗って店までやってきた。久しぶりに再会したフルゴネットは、あのときの記憶のままだった。そこで、いろいろとレクチャーを受けた。絶対にハイオクを入れろ。オイルはもちろん、冷却水もこまめに交換しろ。ゴム系のパーツは劣化したらちゃんと交換しろ、もちろんタイヤもだ。ルームランプはもう手に入らないからぜったいに触るな、などなど。正直、その説明を聞くだけでうんざりだった。なんでクルマに乗るだけで、そんな大変なことしなきゃいかんのだ、と。いちおうメモしたが、あまりにも多くて途中であきらめた。そして先生は最後にあの2つの条件を念押しして帰っていった。心配そうに何度も振り返った顔は、いまだに覚えている。

 

花屋として第二の人生を切った僕。すごく繁盛したわけではないが、滑り出しは順調だった。しかし、3ヵ月くらい経ってから、少し勢いがなくなってきた。と、同時にキャトルにもトラブルが増えてきた。樹脂パーツが砕け散る、ボールジョイント不良、冷却水の交換をもったいないから、とさぼった結果、どっかに何かが詰まったのか、ヒーターが効かなくなる(そういうときに限って寒い)、など、だいたい先生の言ったとおりになった。そして、だんだん維持するのがつらくなってきた。店は儲からない、クルマは壊れる。自暴自棄になったときもあったが、先生との約束もあるし、自分がせがんでもらったものだけに、ここで泣きつくわけにはいかない。ネットで調べたり、書籍を買って勉強したり、自分で何とかできるものは自分で何とかした。だんだん知識も付いてきて、あらためてキャトルのこと、フルゴネットのことをもっと知りたくなった。そして知れば知るほど、このクルマのことがもっと好きになった。お金はなかったけど、何とかキャトルとともに耐えしのいだ。

 

東の空が赤く染まってきた。さぁ、そろそろ店を開けるか。僕はコーヒーカップを流しに置くと、半開きになっていたシャッターを全開にした。今日は大事な配達がある。ひとまずその仕事に取り掛かろう。僕は黙々とバラの花束を作りはじめた。
7時。バイトのサツキちゃんが出社してきたので店番を任せ、僕は大きな花束をキャトルの荷台に乗せて店を出た。行き先はとなりの県にある介護施設。クルマは独立後の盛大なトラブルで出し切ったせいか、それともトラブルの反省からメンテナンスをきっちり行ってきたせいか、大きなトラブルは起きていない(もちろん、マイナートラブルは書ききれないほどある)。ただ最近、2速のシンクロがヘタってきたようだ。3から2へ落とす際「ギャッ」とギア鳴りがする。でも、シフトダウンのときにアクセルをあおってやれば鳴らないので、しばらくそんな風にだましだまし乗っている。
キャトルはこの風体のおかげでお客さんに好評だった。行く先々でこのクルマを通じたコミュニケーションが生まれ、仕事につながることも多々あった。キャトルは店の看板娘、いや看板グルマとして活躍してくれた。クーラーがないので夏はかなりつらいが、近場の配達は自転車を使ったり、どうしても遠方に行かなければならないときは、実家のクルマを借りたりした。それ以外はとにかくよく乗っている。845ccしかないけど、軽い車体のおかげで高速道路だって交通の流れに乗れる。ハイオクが気にならないほど燃費がいいし、荷室はとにかく広く、まったく不満はない。一度は投げやりになったけど、いまではぜったいに手放したくない宝物、と思えるようになった。

 

1時間ほど走って目的地に近くなってきた頃、信号で止まろうとしたときに突然、エンジンがストンと止まってしまった。慌てて再始動を試みたが、ウンともスンとも言わず。とりあえずクルマを下りて、道端まで押す。「まいったなぁ。褒めたらこれだよ……」。まだ配達の時間まで余裕はあるが、どうしたものか。もう一度やってみても、やっぱりかからない。
しばらく自分なりに考えてみた。バッテリーか? いや、バッテリーは車検のときに交換した。スターターか? もしそうならどうにもならない。どっちみち、どうにもならないかぁ。とりあえず主治医に連絡しよう。僕はケータイ電話を取り出して、主治医の連絡先を選んだが、そのとき気付いた。いかん。まだ時間が早いわ……。
JAFしかないか。配達はどうしよう。介護施設はこの道をあと1kmほど行った先なので、歩いていくしかないか……と思案しているとき、ひとつ前の3叉路から白いクルマが右折してきたのが見えた。サンクだ。しかも縦サンク! 珍しいなぁ、と思いながら、キャトルの横を通りぬけていくのを目で追う。すると、そのサンクは通り過ぎてすぐのところで止まり、バックしてくるではないか。窓から顔を出したのは、40代半ばくらいの男性。助手席には学生服を着た少年が座っている。
「どうかしましたか?」
声をかけられ、僕はとっさに「いや、エンジンがかからなくなっちゃって」と答えた。「ちょっと見ましょうか」と男性。素早くクルマを寄せて降り立つと、馴れた仕草でエンジンルームの各所を見て、僕にいくつかの質問をした。
「スターターだったらどうにもならないけど、コイルかもしれないなぁ。この前取り外したノーマルのがあるので、交換してみますか?」
断る理由はひとつもない。「すみません。急いでないですか?」と僕が投げかけると、あっと何かに気付いたような表情をした男性は、振り返って助手席の少年に言った。
「洋介、学校すぐそこだから、歩いて行ってくれ。すぐ行くから」
少年は不満そうな顔をしたが、何も言わずに歩いていった。僕は申し訳ない気持ちなって「すみません、本当に」と何度も頭を下げた。
「いや、いいんですよ。ご先祖さまが困っているのを見過ごすわけにはいかないですから」
男性はニコッと笑った。

 

「キー、回してみてください」と言う男性の声に、僕はすぐさま手首を捻った。エンジンはあっけなくかかり、静かにアイドリングしはじめた。男性の顔がパッと明るくなり、僕は何度もお礼を言った。連絡先も交換して、かならずコイルをお返しします、と伝え、 荷室からバラの花を数本差し出した。しかし、男性は受け取らずに言った。「今度、どこかで仲間がトラブってたら、助けてやってください」。

 

男性を見送った後、僕もクルマに乗り込み、再スタート。キャトルは何事もなかったかのように走り出した。先ほどの男性の言葉が何度も頭の中で繰り返される。そして本当にそうしようと誓った。トラブルは困りものだが、晴れ晴れとした気持ちになった。
介護施設に着いたのは、約束の10分遅れだった。僕は荷室のバラの花束を念入りに整え、久しぶりの再会に少し緊張した。花束を届ける人に、さっきのトラブルの話をしたら遅れたことを許してくれるだろうか。それとも「おまえの“たまに”は、10年に1度か?」と、たしなめられるだろうか。

 

PHOTO & TEXT/Morita Eiichi

1981y RENAULT 4 Fourgonnette
全長×全幅×全高/3650mm×1480mm×1730mm
ホイールベース/2443mm(右)、2395mm(左)
車両重量/680kg
エンジン/水冷直列4気筒OHV
排気量/845cc
最大出力/25kW(34PS)/5500rpm
最大トルク/58Nm(5.9kgm)/2500rpm

 

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7 Responses to “【Tale】RENAULT 4 Fourgonnette”

  1. 厳密に言うと、縦サンクのフランセーズの点火系純正はフルトランジスター。コイルとイグナイターが一体モノだったと思うので、キャトルと互換性は、ないと思う。
    が、先日のフランセーズ、ソレが壊れて、供給終了で手に入らなくて、キャトルの点火系、ポイント式に換えてあるので・・・
    もっかしたら、現実、そゆことも、あり得るかもしれぬ。

    という、ヲッサン心の補足でした。

    • morita より:

      まさかの事実でした……。と、書くと自分が無知なことを晒してしまうわけですが(苦笑)。

  2. シバッチRS より:

    救いの手を差し伸べてくれた縦サンクの親子・・・
    そうそう、6月に登場した奥さんと別居している、あの
    親父ではないですか。コアなルノー好きはどこかで
    繋がっているんですかね。

    • morita より:

      お察しの通りでございます! 縦置きエンジンの叫び、いや沈黙が、仲間を呼び寄せたのでしょうか……。なさそうで、でももしかしたらありそうな、そんなところを狙ってみました。

    • ネタバレェ・・・

  3. Remy Riberolle より:

    Hi ! I’m french, I have the same renault 4l but from 1978! With an other engine. It was just to say hello to japaneses passionates !

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