現代において、あまりにも広義に使われる「スポーツ」という言葉。そもそもスポーツとはなんだろうか。
辞書をめくると「スポーツ【sports】 楽しみを求めたり、勝敗を競ったりする目的で行われる身体運動の総称。陸上競技・水上競技・球技・格闘技などの競技スポーツのほか、レクリエーションとして行われるものも含む(大辞泉)」とある。読んでみるとたしかにその通りだが、もっと簡潔に、もっとしっくりと来る言い方はないものだろうか。
「クルマの価値ってなんだろう」と、ときどき考える。でも、いつも明確な答えは出ない。それは「価値」という言葉自体が明確な何かを示しているわけではないからだ。ある人はその価値を「価格」だと言い、ある人は「ステイタス性」だと言う。またある人は「希少性」だと言い、ある人はそのクルマが持つ「歴史」だと言う。価値観という言葉があるように、価値にはさまざまな見方があり、捉え方がある。まさに十人十色。何も高価でかっこいいクルマだけに価値があるわけではない。小さくて、非力で、一見何も取り得がないようなクルマにだって、価値を見出して大切に乗っている人もいる。クルマに対する価値観はいっぱいあっていいし、たくさんある国ほどクルマ文化が豊かなのだ、きっと。
夜、妻から電話があった。
「ねぇ、明日って休みじゃないよね?」
「なんで?」
「いや、洋介の中学の三者面談なのよ。わたし行くつもりだったんだけど、どうしても外せない仕事が入っちゃって。もし、時間があったら行ってほしいな、と思って」
「ああ、明日は代休取ったから空いてるよ」
「ほんと? じゃ、お願いできる? あとで詳細メールするね」
妻は要件だけを手短に話すと、電話を切った。
妻ではなかった。正確には元妻の加奈子だ。3年前に別れてから、加奈子はよほどのことでない限り、電話やメールをしてこない。1年位前に急性肺炎で入院したことがあったが、そのときも連絡はなかった。事後報告で聞いて驚いたが、加奈子は「大丈夫よ」と平然を装った。今回は息子の洋介のことだからだろう。たとえ別れたとしても、息子にはお互い責任がある。
(この物語は半分フィクションです)